大規模構造観測が紐解く宇宙成分比率:SDSS、DES等の最新データ解析
はじめに
宇宙の構成要素であるダークマター、ダークエネルギー、そして普通物質(バリオン)が、宇宙全体のエネルギー密度のうちそれぞれどのような割合を占めているかは、現代宇宙論における最も基本的な問いの一つです。これらの比率は、宇宙の進化、構造形成、そして将来の運命を決定づける重要な cosmological parameter です。
これまで、宇宙マイクロ波背景放射(CMB)の観測は、初期宇宙における宇宙成分比率を非常に高精度に決定してきました。しかし、宇宙の進化に伴って構造が形成されていく様子を観測することも、これらの比率を独立に、あるいは相補的に決定する上で不可欠です。特に、銀河や銀河団といった大規模な構造の分布と進化を観測する「大規模構造(Large-Scale Structure, LSS)観測」は、ダークマターと普通物質の密度、そしてダークエネルギーの性質に関する重要な情報を提供します。
本記事では、大規模構造観測が宇宙成分比率の決定にどのように貢献しているのか、その基本的な考え方から、SDSS(Sloan Digital Sky Survey)、DES(Dark Energy Survey)といった主要な観測プロジェクトによる最新のデータ解析成果までを解説します。
大規模構造形成の理論的背景
現在観測されている宇宙の大規模構造は、初期宇宙にごくわずかに存在した密度ゆらぎが、重力によって成長・進化してきた結果と考えられています。このプロセスは、宇宙を構成する物質の種類とその比率に強く依存します。
初期宇宙において、物質はほぼ一様に分布していました。しかし、プランク衛星などによるCMB観測が示すように、約10万分の1程度の非常に小さな密度のゆらぎが存在していました。このゆらぎのうち、物質密度が高い領域では、周囲からより多くの物質が重力によって引き寄せられ、さらに密度が高まります。このようにして、密度の高い領域が時間とともに成長し、銀河、銀河団、そして銀河フィラメントやボイドといった大規模構造が形成されていきます(図X:宇宙の大規模構造のシミュレーション画像などを想定)。
この構造形成の効率は、宇宙全体の物質密度(特にダークマターと普通物質)によって大きく左右されます。物質密度が高いほど、重力による引きつけが強くなり、構造はより速く、より大きく成長します。また、宇宙の膨張を加速させるダークエネルギーの存在は、構造形成の速度を遅らせる方向に作用します。したがって、大規模構造の観測から得られる情報は、宇宙を構成する成分とその比率に関する直接的な手がかりとなります。
大規模構造観測の手法
大規模構造観測は、主に以下のような手法で行われます。
- 銀河サーベイ: 宇宙に存在する膨大な数の銀河の位置(天球上の座標と赤方偏移)を測定し、3次元的な銀河の空間分布図を作成します。赤方偏移はハッブルの法則により銀河までの距離と関連づけられるため、宇宙の大規模な構造を立体的に捉えることができます。SDSS、DES、2dFGRS、GAMA、BOSS、eBOSSなどのプロジェクトがこれにあたります。
- 銀河団サーベイ: 宇宙で最も質量の大きな構造である銀河団の分布や数密度を測定します。銀河団の数は、物質密度のゆらぎの振幅や、ダークエネルギーの状態方程式パラメータに敏感です。
- 重力レンズ: 背景にある銀河やクエーサーからの光が、前景にある大規模構造(主にダークマターによって作られる)の重力によって歪められる現象を観測します。弱い重力レンズ効果(weak lensing)は、観測された銀河の形状のわずかな歪みを統計的に解析することで、宇宙におけるダークマターの空間分布、ひいては物質密度のゆらぎの情報を得ることができます。DESやHSC(Hyper Suprime-Cam)などのプロジェクトがこの手法を応用しています。
- Lyman-$\alpha$ フォレスト: 遠方のクエーサーからの光が、途中の宇宙に存在する中性水素ガス(主に普通物質)によって吸収されるパターン(Lyman-$\alpha$ フォレストと呼ばれる吸収線スペクトル)を観測することで、初期宇宙における物質分布を探る手法です。
これらの観測によって得られるデータは、宇宙の物質密度ゆらぎのパワースペクトルや、銀河の2点相関関数といった統計量として解析され、宇宙論パラメータの決定に用いられます。
観測データから宇宙成分比率を導出する方法
大規模構造観測のデータから宇宙成分比率を導出する上で重要なツールとなるのが、バリアン音響振動(BAO)と赤方偏移空間の歪み(RSD)です。
バリアン音響振動(BAO)
初期宇宙において、光子とバリオンは強く結合したプラズマ状態にありました。このプラズマ中の密度ゆらぎは、音波として伝播します。宇宙が晴れ上がり、光子とバリオンが分離(脱結合)するまで、この音波は一定の距離(音響地平線スケール)を伝播しました。脱結合後、この音響地平線スケールに対応する特徴的な空間スケールが、バリオン物質の分布に「痕跡」として残されました。
大規模構造観測において、この特徴的なスケール(約150 Mpc)が、銀河の相関関数やパワースペクトルに特定の「コブ」(またはピーク・ディップ)として現れます(図Y:BAOスケールを示すパワースペクトルなどを想定)。このBAOスケールの見かけのサイズや位置は、宇宙の膨張史(特にハッブルパラメータ $H(z)$)や、物質密度の角度方向の距離スケールに依存します。したがって、異なる赤方偏移 ($z$) でBAOスケールを精密に測定することで、宇宙の膨張史、ひいてはダークエネルギーの性質や物質密度パラメータ ($\Omega_m$) を制限することができます。
赤方偏移空間の歪み(RSD)
銀河の赤方偏移は、宇宙膨張による後退速度だけでなく、重力によって引き起こされる銀河の固有運動(peculiar velocity)にも影響されます。密度の高い領域では、銀河は中心に向かって運動するため、赤方偏移が歪められます。この赤方偏移空間における銀河分布の歪みは、「フィンガー・オブ・ゴッド」効果や、より統計的な「カイザー効果」として現れます。
このRSDの度合いは、宇宙の物質密度ゆらぎの成長率に依存します。成長率は主に物質密度 ($\Omega_m$) と、ダークエネルギーの状態方程式パラメータ ($w$) によって決定されます。したがって、RSDを観測することで、物質密度と宇宙構造成長率の組み合わせ(例: $f \sigma_8$, $f$ は成長率、$\sigma_8$ は線形物質パワースペクトルのRMS振幅)を測定し、宇宙成分比率、特に物質密度とダークエネルギーの情報を得ることができます。
最新のLSS観測データが示す宇宙成分比率
近年、SDSSの最終データリリース(DR16/eBOSSなど)、DESの複数年にわたるデータ解析などにより、大規模構造観測に基づく宇宙論パラメータの精度は飛躍的に向上しています。
eBOSS(extended Baryon Oscillation Spectroscopic Survey)プロジェクトは、異なる種類のトレーサー銀河やクエーサー、Lyman-$\alpha$ フォレストを用いて、幅広い赤方偏移範囲($z \sim 0.1$ から $z \sim 2.2$)でBAOとRSDを測定しました。これらのデータは、ΛCDMモデルにおける物質密度パラメータ $\Omega_m$、ハッブルパラメータ $H_0$、そしてダークエネルギーの状態方程式パラメータ $w$ に対して強い制限を与えています。特に、eBOSSのBAO測定は、高赤方偏移宇宙における宇宙膨張史を知る上で非常に貴重な情報源となっています。
DESプロジェクトは、銀河の空間分布、銀河団の数、銀河の形状の弱い重力レンズ効果を組み合わせて解析する「3x2pt 相関関数」解析という強力な手法を用いています。DESの5年間のデータを用いた最新の解析結果は、物質密度の合計 $\Omega_m$ と物質密度ゆらぎの振幅 $\sigma_8$ の組み合わせである $S_8 = \sigma_8 \sqrt{\Omega_m/0.3}$ に対して、CMB単体や他の観測手法とは異なる示唆を与えています。特に、CMB観測から予測される $S_8$ の値よりも、DESなどのLSS観測から得られる $S_8$ の値の方がやや小さい傾向が見られており、これは「$S_8$ テンション」として、現在の標準的なΛCDMモデルに対する潜在的な不一致の可能性として議論されています。
これらの大規模構造観測の結果は、CMB観測や超新星観測など、他の宇宙論的プローブから得られる宇宙成分比率の情報と組み合わせて解析されることで、宇宙論パラメータ全体の精度を向上させ、ΛCDMモデルの検証を進める上で重要な役割を果たしています。現在の最新の観測データ(プランク、LSS、超新星などを組み合わせた場合)が支持するΛCDMモデルの標準的なパラメータ値としては、全エネルギー密度のうちダークエネルギーが約68%、ダークマターが約27%、普通物質(バリオン)が約5%を占めるという比率が挙げられます。しかし、$S_8$ テンションのような潜在的な不一致は、これらの比率や、あるいはΛCDMモデル自体に対するさらなる検証が必要であることを示唆しています。
大規模構造観測の課題と今後の展望
大規模構造観測は強力な宇宙論的プローブですが、課題も存在します。例えば、銀河の空間分布は物質分布の完璧なトレーサーではなく、「バイアス」と呼ばれる、銀河が物質密度の高い領域に偏って形成される効果を考慮する必要があります。また、非線形構造形成の領域における理論的モデリングの精度向上も求められています。
しかし、これらの課題に対し、観測技術と理論解析手法は日々進化しています。今後数年間に予定されている次世代の大規模構造サーベイ計画は、現在の観測をさらに高い精度と広い宇宙領域に拡張します。
- Euclid: ESA主導の宇宙望遠鏡で、弱い重力レンズとBAO測定により、ダークエネルギーとダークマターの性質を前例のない精度で探査することを目指しています。
- LSST/Vera-CS: チリに建設中の巨大地上望遠鏡で、広大な空域を深くまで観測し、多数の銀河の形状と位置を測定することで、弱い重力レンズ、BAO、銀河団の数などを高い統計精度で測定します。日本では特にVera-CS計画により、独自の宇宙論観測が進められています。
- SPHEREx: NASAの宇宙望遠鏡で、全天の近赤外線スペクトル観測を行い、銀河の赤方偏移を高精度に測定することで、宇宙進化、銀河形成、そして大規模構造の情報を得ます。
これらの次世代観測は、現在の$S_8$ テンションを含む宇宙論パラメータの不一致の原因を特定し、宇宙の成分比率をさらに高い精度で決定することで、ΛCDMモデルの妥当性を厳しく検証し、あるいは新たな物理の兆候を捉えることが期待されています。
まとめ
大規模構造観測は、宇宙の重力的な構造形成の歴史を直接的に捉えることで、宇宙の成分比率、特にダークマターと普通物質の密度、そしてダークエネルギーの性質に関する重要な情報を提供します。BAOによる膨張史の測定や、RSDによる構造成長率の測定は、CMB観測と並んで宇宙論パラメータを決定する上で不可欠な手法となっています。
SDSSやDESといった既存のサーベイは、既に標準的なΛCDMモデルの検証に貢献し、宇宙成分比率に対して強力な制限を与えています。一方で、$S_8$ テンションのような潜在的な不一致も明らかになりつつあり、今後の研究課題となっています。
EuclidやLSSTといった次世代サーベイは、観測精度と観測量を大幅に向上させ、現在の課題の解決や新たな発見をもたらすことが期待されています。大規模構造観測は、今後も宇宙の成分比率、ダークエネルギーの性質、そして宇宙論モデルの検証において、最前線の役割を担い続けるでしょう。
(図やグラフが挿入されることを想定した記述を含みます)
参考文献や関連ウェブサイトへの誘導(執筆者が別途追加することを想定):
- SDSS (Sloan Digital Sky Survey) 公式ウェブサイト
- DES (Dark Energy Survey) 公式ウェブサイト
- eBOSS (extended Baryon Oscillation Spectroscopic Survey) プロジェクト関連ページ
- Euclid ミッション公式ウェブサイト
- Vera-CS プロジェクト関連ページ
- プランク衛星成果に関するESAのページ
- 主要な宇宙論パラメータの最新値に関する学術論文(例:Planck Collaboration 2018 resultsなど)
(これらの具体的なURLは、記事掲載時に適切に追加されるべきものです。)